大人になって、名前(ファーストネーム)を呼ばれなくなったな~と思います。
たくさん名前を呼んでもらえていた時代を振り返ると、それは学生時代までさかのぼってしまいます。はるか遠い昔です。
働き始めると苗字で呼ばれ、結婚して出産したら、「お母さん」「娘ちゃんママ」と呼ばれることが多くなりました。
そして、
「お母さ~ん」「○○ちゃんママ~」と呼ばれるときは、たいてい何か用があるわけです。「お母さん、ビールとって~」「○○ちゃんママ~、あの資料どうなった?」などなど、私自身ではなく私が持っている何か、もしくは、私が持っている情報を必要としていることの方が多いです。そして、それに対して何の疑問もありませんし嫌な気持ちもありません。
逆に、数少ない親しい友達は名前を呼ぶことなく「おはよ~」「お疲れさま~」から会話が始まって、立ち話などしてしまうことが多いです。(これは私の性格かもしれません。)
ところが、娘と一緒に生活をしていて、名前が呼ばれるということがこんなにジーンとくるものなんだと妙に感動してしまったことがありました。
幼稚園は、バスではなく徒歩登園です。もともと体力がある子ではないので、園につくころにはバテ気味です。しかも、夏の暑さでイライラグテグテ度も高く、なだめながらあの手この手を使って幼稚園まで連れていきます。幼稚園に近づく頃には、母も子もイライラのピークです。そんな時、先に園に到着した友達が、
「○○ちゃーん」と遠くの方から全力で娘の名前を呼ぶのです。
「あそぼー。」「頑張って~」「おはよう」そんなことは付け加えません。
ただ、娘の名前を全力で呼ぶだけです。それだけで、娘の顔がぱぁっと明るくなり、ものすごい勢いで教室までたどり着けました。何か用があるわけじゃないんです。理由なんて何もなくて、ただ、娘の顔を見たから嬉しくて全力で呼んでみた。そんな感じです。
また、娘はよく病院に行くので遅刻早退がとても多い子です。遅刻の時は、遅れて教室に入ることはとても勇気がいるようです。ひどい時は幼稚園に入れずに泣いてそのまま帰ったこともありました。
でも、「あ、○○ちゃんだ。」「○○ちゃーん」と大きな声で娘の名前を呼んでもらえたとき、娘は足取り軽く教室に入っていくことができました。
私の場合、友達に会えばまずは「おはよう~」「お疲れ~」のような挨拶からのスタートが当たり前です。挨拶が、社会生活を円滑に送るための基本中の基本であることに異論はありません。でも、言語能力がまだ未熟な子どもたちが、会えて嬉しいという気持ちがこらえきれずに挨拶なんかすっとばして「○○ちゃーん」と全力で呼ぶ姿は、すがすがしい。娘は、遠くから大きな声で友達から名前を呼ばれるだけで、自分が肯定されるような気分になるのかもしれません。
娘は、子ども同士でうまくやっている方ではありませんし、友達も多くはありません。でも、ちょっと苦手だな~慣れないな~という友達がいるからこそ、全力で名前を呼んでくれる友達が現れた瞬間がキラキラまぶしく感じるのかもしれません。実際、親子ともにめげそうな時、クラスの友達の全力で名前を呼ぶ声は天使の声に聞こえました。
私も、娘の友達や親しい友人に会ったら、挨拶の前に大きな声で名前を呼んあげようと思ったら、、、、恥ずかしくてできませんでした。やっぱり、子どものうちしかできないものなんでしょうか。
いつか、全力で友達の名前を呼ぶ日なんてなくなるでしょう。でも、呼ばれて心地よかった、名前を呼んで気持ちよかったと思うその記憶を大切にしてあげたいな~と思いました。
名前を呼ばれると走りたくなる
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