出産してから、全力で走ることってしなくなったな~と思います。
全力で走ったときのことを振り返ると、私の場合、電車に間に合わないとき、会社に遅刻しそうなとき。何かに遅れそうな時が多いです。
もっと小さいころを思い出すと、運動会などの徒競走や鬼ごっこ。でも、それらはみんな、負けたくないっていう気持ちやいいタイムを出したいっていう欲のようなものがあったような気がします。鬼ごっこなら、友達を捕まえなくちゃという理由がありました。
私が覚えている全力で走った記憶は、とにかく走らなきゃならない何か目的があったように思います。
けれど、娘は、
広い場所や誰もいない直線の道に出たとたん、、、、、、
意味もなく、手を広げて声をあげて力の限り走りだします。
不思議ですね。ただの全力だけじゃなくて必ずわああっていう声付きです。
そんな子どもの走る姿を見るのは大好きです。
***
先日こんなことがありました。
幼稚園で仲良くなったお友達と初めて公園で偶然遭遇したのです。
すると、何を思ったか、合図もなく突然二人で全力疾走!ついさっきまで疲れた~を連発してボロボロに疲れていたはずなのに、走ったらもっと疲れるのに、、、なんて大人の私は思ってしまいますが、
スイッチが入ったらもう止まらない。
公園の端から端までお友達と全力疾走していました。
- 走って風を受けるのがきもちいのでしょうか?
- 楽しくてうれしい気持ちが止められないのでしょうか?
走る理由はよくわかりませんが、目的もなくただただ「走ることそのものが楽しい」って感じられるのは、なんて幸せな時代なんだろうと思いました。
私にもそんな時代があったのかもしれませんが、全く覚えていません。きっと娘もその日のことは忘れてしまうと思いますが、私にとっては忘れられない光景でした。
ちょうどいい感じの夕日と気持ちのよい風の中で満面の笑みを浮かべながら嬉しそうに全速力で走る二人のこどもの姿は、映画のワンシーンのようにきれいで、なんとも言えずジーンとくるものがありました。この時の気持ちをきちんと言葉に残せたらどんなにいいか。
文才や絵の才能があればこの光景をもっと感動的に残して、大きくなった娘に伝えられるのにと思うと残念です。写真やビデオにとってそれを家族に見せたとしても、今日私が感じたような感動は共有できないと思います。本当に感動したものはデータでは残せないものなのかもしれませんね。「こどもが輝く」という表現はあまり好きではありませんが、今日の娘はなんだかとてもまぶしく感じました。
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おまけ
▼この記事を書いてて頭からずーっと離れなかったのがこの本。以前新聞で紹介されて気になっていました。読んでない本を紹介するのも申し訳ないのですが、これが読みたい!でも見つからない。私の検索が下手なのかもですが、ないと思うとなおさら読みたい!! このタイトルと写真を見るだけでひきつけられました。今猛烈に気になっています。(でも、ちょっと高い。。。)
こどもたちはまだ遠くにいる (Portrait Collection)
- 作者: 川本三郎
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1993/02
- メディア: 単行本
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近づき、こちらをみつめ、また向こうへと遠ざかってゆく、幻影のように切ない小さな姿を捉えた名作50点と、編者の珠玉のエッセイとで編むフォト・アンソロジー。
▼こどもの写真つながりで ついでに、、、、これは良かった。
今でこそ当たり前に幼いこどもの写真を撮ることができますが、カメラが登場した19世紀は動き回るこどもの写真を撮ることは奇跡に近いものだったんですよね。古い家族写真にうつる子供の表情はみんな固い。。。。そこまで古くなくても、モノクロフィルムが主流だった時代のこどもの自然な姿が映してある写真は本当に貴重だと思います。
どんな感じだったかというと、、、、
たくさんの赤ちゃんが無造作にゴロンって床に寝っ転がっている写真なんかは、今の子育ての常識からみるとびっくり!昔の子育てが伺えられる写真は芸術的価値だけなく歴史的価値がありますね。
あと、ユージン・スミスの「楽園への歩み」をきちんと広い場所で見られたのがうれしかった。二人のこどもが手をつないで、まるで楽園へと向かっているかのような情景の木立の中を歩く作品です。子どもが生まれてから見るとまた違う印象を受けます。本当に大好きな作品です。
さらに、おまけのついで、写真つながりで、、、
本題からはもうズレずれでごめんなさい。私の個人的興味の話題になりますがあと少し(2016/9/3)で東京都写真美術館がリニューアルオープン!しかも、記念すべきリニューアルオープン記念の写真家は、大好きな杉本博司さんの展覧会。やったー!!楽しみです。東京都写真美術館