こどものあそび観察日記

こどもの充実した時間とはなんぞや!?

ごっこあそびから一人芝居へ。ごっこあそびは何を育んでいるのか。~「演劇は人生のリハーサル」(7歳)

*追記:下書きに入れたつもりが、公開していました。ただでさえまとまりのない文章が、さらに読みづらい内容になっていました。大変失礼しました。ごめんなさい。昨日気づき、内容はほとんど変わりはありませんが、いろいろ訂正を加えました。

 

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ご飯をお皿にのせて「はいどうぞ」と遊んでいたおままごと。

それが、どんどん高度になって気が付いたら”一人お芝居”になっていました。

一人何役もこなし、自分の考えた物語を劇で表現して遊んでいます。

もちろん、友達ともごっこ遊びをしているようですが、それはそれなりの楽しみ方があり、一人の時は一人なりの楽しみがあるようです。そんな娘のごっこ遊びについていろいろ考えたことを書いてみたいと思います。

7歳娘が創造する物語

娘が遊んでいる話はこんな内容です。

  • 学校の先生になって、一日の授業を想像で作り上げる。生徒役は、お人形さん。
  • プリミティブな時代の再現(魚をとったり、木の実をとったりして生活する)
  • 魔法使い学校のお話

湧き水のように物語がどんどん溢れているような感じがします。

歩きながら、お風呂に入りながらなど、ちょっと暇ができると自分で物語を作ってお話を聞かせてくれます。それを聞き続けるのも大変で、生返事をしているのが実状ですが我が子ながらあっぱれな想像力です。そのせいで、先生のお話や友達との会話も上の空でいろんな失敗もしているようです。それはそれで心配ですが、一人で物語を考えている時間が至福な時というのは間違いなさそうです。

ごっこあそびがお芝居につながっていく

娘が生まれる前、こんなお子さんに出会ったことがあります。そのお子さんは私の教室の教え子で、当時小学3年生。魔法使いごっこをして意気揚々と遊んでいました。それを見て、「まだごっこ遊びをするんだぁ~」と冷ややかな目で見ていた時がありました。ところが、そのごっこ遊びをしていた3年生の教え子は、5年生の学芸会では主役を堂々と演じていました。「ごっこあそび」といって侮るなかれ、それがお芝居へと続いていくんですね。ごっこあそびは幼児期だけのものではなく、お芝居に続くことを感じとるきっかけにもなりました。そんな経験があるので、心のどこかで、まだごっこ遊びしてても大丈夫なんだなと余裕をもって見ていられます。

音読とごっこ遊びと言語習得

娘は音読も大好きです。絵本・児童書だけに限らず漫画まで。大音量で読み続けています。「うるさい!!」と言いたくなるのですが、不思議に慣れてしまうものです。そんな娘に、「どうして漫画も音読するの?」と聞いてみると、、、

「そっちの方が気持ちがもりあがるから」

だそうです。

結局、その音読がごっこ遊びにつながっています。娘が読んでいる本・漫画が物語のベースになっていることが多く、演じることが好きだから音読が好きなのか、音読が好きだから演じるのがすきなのか、もはや分からなくなっていますが、おかげで語彙は増えました。国語の授業は安心してついていけています

ちなみに、読んでる漫画は、ドラえもんドラゴンボール、偉人伝。でも、そんな姿は絶対友達には見られたくないそうです。最近、一人の世界に没頭しすぎていることが多く、「大丈夫か?この子は?」と心配になることがありますが、あたたかい目で見守っていこうと思います。

最近読んでいる偉人伝、

KADOKAWAの偉人伝は、小さめなので助かります。KADOKAWAにないものは、図書館で借りまくって読んでいます。

ラマ教育「演劇は人生のリハーサル」

学生時代、演劇教育を学んでいる方の研究室にお邪魔したことがありました。そこで、行われていたのが、「ドラマ教育」。今ではもう当たり前に実践してもらいたい、、、ところですが、娘の学校ではそこまで盛んではなさそうです。娘のごっこあそびを見ていると、若い頃触れたこの「ドラマ教育」が思いだされます。

そこで、簡単にドラマ教育について紹介するとともに、自分も復習してみたいと思います。

ラマ教育とは

教育の場において演劇の様々な要素を使い、「真似」という安全な枠の中で、あるときは他人として、またあるときは自分自身として、想像力をフルに使いその場を演じ生きる経験を通し、人間の生き方の多様性と本質の何であるかを発見し、人間とは何であるか、物とは何であるかといった世界観を正しく感覚していくための教育方法であるといわれている。これは、従来からの演劇教育のエキスを、学校教育などに利用しょうとしたものであり、すでに、イギリス、アメリカやカナダ、オーストラリアなどで大いに使われ、定着しているものである。

北村恵子/ドラマ教育の可能性/『上田女子短期大学公開講座:生きる』より*1

 

で、この「ドラマ教育」というものを軽く理解したうえで、次の小林由利子さんの▼記事を読むと、さらにいろいろ考えさせられます。

kodomo-manabi-labo.net

一部引用させていただきます。

「ドラマ・イン・エデュケーション*2」では、「演劇は人生の縮図」だとして、「生き抜くための洞察力を高める」ことを強調しています。アメリカ留学時代のわたしの指導教官であるコウスティ教授も同じような考え方を持っていて、「リハーサル・フォー・ライフ」という言い方をしていました。いわば、「演劇は人生のリハーサル」ということですね。たとえば、ある物語の一場面を抜き出して「あるかもしれないこと」を想像し、より良い人生を歩むためのきっかけとする。これは、幼い子どもは遊びのなかで自然にやっていることですが、それこそ小学生以上の生徒や学生、大人の場合はドラマ教育でおこなう必要があります。「ドラマ教育」は子どもたちの主体的な学びに最適――本場・英米の動きから見る「ドラマ教育」の大きな可能性

娘がやっているごっこ遊びは、「ドラマ教育」そのもの。知らず知らず、ごっこ遊びを通して人生を学んでいるのかもしれません。まだまだ、幼い娘が作りがあげる物語は、人とは何か、ものとは何か、そんなことまで深く考えない上っ面のものです。

けれど、ごっこあそびで人の気持ちを想像しようとする態度は育てている”かも”しれません。

面白い連載記事だったので全部紹介しちゃいます。

第一回日本でもじわじわ広がる「ドラマ教育」ってなに?――「ドラマ教育」によって伸びる子どもたちの力とは

第二回「ドラマ教育」は子どもたちの主体的な学びに最適――本場・英米の動きから見る「ドラマ教育」の大きな可能性(☚今回紹介した記事)

第三回「ドラマ教育」を保育者養成に活かす――創造的な子どもを育てる力を養う「ドラマ教育」の効果

第四回演劇は子どもの知性と感性を刺激する――「ドラマ教育」を家庭に取り入れ、子どもの知的好奇心を育む方法

▼小林由利子さんの著書

保育に役立つ ストーリーエプロン

保育に役立つ ストーリーエプロン

 

おわりに

言葉が出始めた頃から続いているごっこあそび。

それは、

言語能力を高めるだけでなく、人生を学んでいる

かもしれないと、考えさせられます。

「いつまでごっこ遊びするんだろう。うちの子は、ちょっと幼いのかなぁ」と不安になった時期がありましたが、でも、本人がやりたいと思ううちは、見守っていこうと力強く思えました。

でもね、

先ほど少し触れましたが、悩みはあります。小学校に入り顕著になってきたこと。それは、先生の話を上の空で聞いていること。途中で、物語を考えはじめそのまま自分の世界に入ってしまうらしいです。幼稚園の時もあったようですが、さらにそんなことが増えてきました。読書量と比例して、ごっこあそびが高度になるとともに先生の話が途中で飛ぶことが増えてきました。どれだけ、同じクラスのお友達に持ち物の確認をしたことか、、、。いや、これからもそんなことが増えていきそうです。子どもの良いところはのばしてあげたいけれど、うーーん親としては迷うところです。

おまけ

いろんな教育関連のwebメディアがありますが、今回紹介したこの記事が掲載されているこどもまなび☆ラボ面白い。

個人の体験談だけでなく、専門家のインタビュー記事が掲載されていてついつい読み込んじゃいます。もし、このブログが面白いと感じる奇特な方がいらっしゃったらこどもまなび☆ラボは楽しいはず。

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このカテゴリーのつけ方がグッときます。あ~こういうブログにしたかったな。

*1:上田女子短期大学リポジトリ

*2:DIE:1960年代にイギリスで生まれたドラマ教育。学校のなかで教師によっておこなわれたドラマ活動がDIEと呼ばれる。一方、プロの劇団のアクター/ティーチャーズと言われる人たちによって学校等でおこなわれた活動はTIE(Theatre in Education)