「友達に意地悪された。。」
と、娘が訴えてきたとき、私はたまたま何が起きていたか見ていた。
娘がお友達の輪の中に「い~れ~て」
と言ったが、「(娘)ちゃんはダメ~。」とあっさり友達に拒否されたことを「意地悪された」と表現してきた。
*****
「友達に意地悪された。。」
という、娘の言葉だけを真に受ければ、ええーー!!何が起きたの?って内心気持ちがざわざわしてしまうが、実際にはちょっと事情が違っていた。
娘が一緒に遊びたかったお友達3人には、時間をかけて作り上げてきたものがあった。お互い協力して充実した時間を過ごしていたんだろうということが、作り上げたものからも想像できた。それを知らない娘が、途中からやってきて自分たちのものを使って遊ぶことが許せなかったんだろう。その時、「あ~お友達の気持ちが分かる~」と思ってしまった。そりゃ、娘を入れたくないハズだわ。しかも、その雰囲気を見ていると、娘を拒絶しているというより、「今は自分たちが作り上げた世界観を楽しみたいからそっとしておいて」というのが本音なんじゃないかと思ってしまった。
でも、娘は拒絶された気分になって、しゅん。。。。
「意地悪」したつもりじゃなくてただ単にタイミングが悪かっただけなんだけど、そんなことは当然分からない。思わず、娘に「そういうこともあるよ、しばらくほかのことで遊んでれば」と声をかけた。
****
その後、案の定そのお友達と一緒に違う遊びをしていた。
でも、この現場を見ていなくて、ただ単に
「友達に意地悪された。。」
という言葉だけを信じてしまったら、もっと気持ちがモヤモヤしただろうな~。
この一件から、
娘の「友達に意地悪をされた。。。」発言は、大した意地悪じゃないっていう私の直感に自信がつくこととなった。
でもね、本当は最後にこう付け加えたかった「自分がされて嫌だったことは友達にはしない」。今日はあんまり言わないようにしておこう。
****
そして、今日幼稚園で何があったの??
と聞くことをしばらくやめてみようと思った。
きっと、しゃべりたいことは湧き出てくるはず。逆にほじくりだすとロクなことがないような気がした。幼稚園の集団の中で楽しいこともあれば嫌なこともあるはず。うっかり嫌なことを思いださせて言葉にさせたら、楽しい思いがかき消されてしまうような気がした。だって、娘の嫌なことは大したことではなさそうだし、友達の中でもまれて強くなってほしい。
忘れるって大切なことだな~と思う。
嫌なことをほじくり返すより、次は何をして遊ぼうかと考え続ける方が楽しいに決まってる。幼稚園で何かあったか話したいときは自分から話すと信じてみたい。過去を思い出すパワーを、
次に生み出す何かにつなげさせたいと思った出来事だった。
帰ったら今日は何してあそぼうか。